2026/07/26
「ベースアップ手当って名前で毎月払ってるけど、これ、来年もし点数が下がったら減らせるんだよね?」
先日、ある院長先生からこんなご質問をいただきました。ベースアップ評価料の届出は無事に済んでいて、スタッフへの支給も始まっている。書類は事務長さんと会計事務所さんがきっちり作ってくださっている。ここまでは、とてもよくできている医療機関です。
ただ、この「減らせるんだよね?」という一言に、実はいちばん大きな落とし穴が隠れています。そしてもうひとつ、多くの医療機関が気づかないまま数か月が過ぎてしまう論点があります。残業代の計算です。
令和8年度の診療報酬改定でベースアップ評価料は大きく拡充され、対象となるスタッフの範囲も広がりました。原資が増えるのはありがたいことですが、その分だけ「賃金のしくみ」をきちんと整えておかないと、後になって効いてきます。今回は、診療報酬の届出の話ではなく、その先にある労務管理の話を整理します。
💡 結論を先に
ベースアップ評価料による賃上げは、賃金規程に支給の根拠と条件を書いておくことが出発点です。名称をつけて支給を始めるだけでは、後から見直したいときに動けなくなります。
そしてもうひとつ。ベースアップ手当は原則として残業代の計算のもとになる金額に含まれます。手当を新設したのに時間外手当の単価を据え置いていると、知らないうちに未払い残業代が積み上がっていきます。
結論から言うと、賃上げの対象になるスタッフが広がり、金額も段階的に大きくなります。つまり「一部のスタッフに少額を配る」制度から、「院内のほぼ全員の給与を継続的に引き上げる」制度に性格が変わったということです。
厚生労働省の改定概要では、令和8年度・令和9年度でそれぞれ3.2%(看護補助者等は5.7%)の賃上げに向けてベースアップ評価料を見直すこと、あわせて夜勤手当への充当を可能にすることが示されています。
| 変更点 | 労務管理への影響 |
|---|---|
| 対象職員の範囲が広がった | これまで対象外だった医療事務・受付のスタッフも含まれることに。院内の公平感をどう保つかという設計の話になります |
| 金額が段階的に増える | 支給額が大きくなるほど、残業代・賞与・退職金への波及も大きくなります |
| 毎年8月に報告が必要 | 給与台帳と賃金規程の内容が一致していないと、報告のたびに整理し直すことになります |
いちばん気になるところですよね。結論としては、どちらにも一長一短があり、正解はひとつではありません。ただ、実務では「独立した手当として支給し、その支給条件を賃金規程にきちんと書いておく」形を選ぶ医療機関が多い印象です。
なお、評価料で得た収入は、その大部分を「基本給」または「毎月決まって支払われる手当」の引上げに充てることが求められています。賞与や一時金だけで処理する形は想定されていませんので、そこは前提としてご確認ください(具体的な取扱いは厚生労働省の手引きに記載があります)。
| 基本給に組み入れる | 独立した手当で支給する | |
|---|---|---|
| スタッフの受け止め | 「昇給した」と実感されやすい | 制度によるものだと伝わりやすい |
| 後からの見直し | 極めて困難 | 条件を定めていれば余地はある |
| 賞与・退職金 | 基本給連動なら自動的に増える | 規程の書き方次第で調整できる |
| 残業代への影響 | 単価が上がる | 同じく単価が上がる |
| 報告書の作成 | 改善額の切り分けがやや煩雑 | 金額を追いやすい |
💡 手当から始める医療機関が多い理由
評価料の点数は今後も改定のたびに動きます。基本給に入れてしまうと、原資が減っても賃金水準は下げられません。まずは手当として運用し、経営が安定してから基本給に統合していく、という進め方であれば、貴院の判断の余地を残せます。
正直に申し上げると、ここがいちばんご相談の多いところです。ベースアップ手当を新設したのに、時間外手当の単価を変えていないという医療機関が、決して少なくありません。
残業代の計算のもとになる金額(割増賃金の算定基礎)から除外できる手当は、労働基準法第37条第5項と労働基準法施行規則第21条で限定的に定められています。家族手当・通勤手当・別居手当・子女教育手当・住宅手当、そして臨時に支払われる賃金と1か月を超える期間ごとに支払われる賃金。この範囲に入らないものは、原則としてすべて算定基礎に含めなければなりません。
⚠️ ベースアップ手当は除外できません
毎月決まって支払われる以上、限定列挙のどれにも当たりません。手当を新設した月から、時間外・休日・深夜の割増賃金の単価も上げる必要があります。名称を「調整手当」などに変えても結論は同じです。
冒頭のご質問への回答です。結論としては、あらかじめ賃金規程に定めていなければ、原則としてできません。一度支給を始めた毎月の手当は労働条件の一部になりますので、後から一方的に引き下げることは労働契約法上の「不利益変更」にあたります。
労働契約法第9条は、労働者と合意することなく就業規則を変更してスタッフに不利益な労働条件を課すことはできない、と定めています。第10条には例外的に変更が認められる場合の要件が置かれていますが、変更の必要性、不利益の程度、内容の相当性などを総合的に判断されるもので、ハードルは低くありません。
📝 だからこそ、最初の書き方が大事です
「診療報酬上の評価料の算定状況に応じて、支給額を見直すことがある」という趣旨を、支給を始める段階で賃金規程に盛り込んでおく。これだけで、将来の選択肢がまったく変わります。支給が始まってからでは遅い、という性質のものです。
なお、診療報酬の制度上は、事業の継続を図るためにやむを得ず賃金水準を引き下げたうえで賃金改善を行う場合の「特別事情届出書」という様式が用意されています。ただしこれはあくまで診療報酬側の手続きであって、労働法上の不利益変更の問題が消えるわけではありません。ここは別々に考える必要があります。
常勤スタッフだけに支給して、パートの歯科衛生士さんや看護師さん、医療事務のスタッフには支給しない。この形にする場合は、説明できる理由を用意しておく必要があります。
令和8年10月1日からは、パート・有期雇用のスタッフを雇い入れるとき(契約更新のときを含みます)の労働条件の明示事項に、待遇の相違の内容や理由について説明を求めることができる旨が加わります。「なぜ私にはベースアップ手当がないのですか」と聞かれる場面が、制度として想定されるようになるということです。
勤務時間に応じて按分して支給する、職務内容の違いを整理したうえで差を設ける。どちらの方針でも構いませんが、説明できる形で決めておくことが、結果としていちばんの安心材料になります。
ひとつでも当てはまるようでしたら、金額が本格的に大きくなる前の今が、いちばん手を入れやすいタイミングです。
厚生労働省の特設ページによれば、令和8年8月には次の2つの書類を提出することになっています。うっかり片方だけになりがちですので、ご確認ください。
| 提出時期 | 提出するもの |
|---|---|
| 令和8年8月 | 令和7年度算定分の実績報告書(旧様式)/令和8年度算定分の中間報告書(新様式) |
| 令和9年8月 | 令和8年度算定分の実績報告書/令和9年度算定分の中間報告書 |
| 令和10年8月 | 令和9年度算定分の実績報告書/令和10年度算定分の中間報告書 |
📅 年度によって使う様式が異なりますので、最新の様式を厚生労働省の特設ページからダウンロードしてお使いください。給与台帳と賃金規程の内容がそろっていれば、この作業はぐっと楽になります。
A. 就業規則の作成・届出が法律上の義務となるのは常時10人以上のスタッフを使用する事業場です(労働基準法第89条)。ただし10人未満であっても、支給条件を書面で定めていないと、後から見直したいときに動けなくなります。義務かどうかにかかわらず、整えておくことをおすすめします。
A. 評価料で得た収入は、その大部分を基本給または毎月決まって支払われる手当の引上げに充てることが求められています。賞与だけで処理する形は想定されていませんので、取扱いの詳細は厚生労働省の手引きをご確認ください。
A. 支給の対象となる範囲や起算日を賃金規程に定めておかないと、入職のたびに個別判断が必要になり、不公平感の原因になります。試用期間中の扱いもあわせて決めておくと運用が安定します。
A. 名称そのものに決まりはありません。ただし名称を工夫しても、割増賃金の算定基礎から除外できるかどうかは実態で判断されます。「調整手当」「特別手当」といった名前にしても、毎月決まって支払われるものであれば算定基礎に含まれます。
| 確認すること | ポイント |
|---|---|
| 賃金規程への記載 | 支給の根拠・対象者・金額の決め方・見直しの条件を定めておく |
| 手当か基本給か | まず手当で運用し、安定してから統合を検討する進め方が現実的 |
| 残業代の単価 | 算定基礎に含まれる。給与ソフトの設定を必ず見直す |
| 減額の可否 | 事前に条件を定めていなければ、原則として引き下げられない |
| パート・非常勤 | 令和8年10月から説明を求められる場面が増える。理由を整理しておく |
| 8月の報告 | 実績報告書と中間報告書の2種類。様式が年度で異なる |
ベースアップ評価料は、スタッフの給与を継続的に引き上げるための原資が、制度として用意されているということです。人材の確保が年々難しくなるなかで、これは決して小さな話ではありません。せっかくの原資ですから、「払ったのにトラブルになった」ではなく「払った分がきちんと定着につながった」という形にしていきたいところです。
金額が本格的に大きくなるのはこれからです。今のうちに賃金のしくみを整えておけば、来年以降は同じ枠組みで回していけます。むしろ、貴院の賃金制度を見直す絶好のチャンスと捉えてみてはいかがでしょうか。
📮 こんなお悩みはありませんか
「ベースアップ手当を出しているが、賃金規程に何も書いていない」
「残業代の計算に含めるべきか分からない」
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就業規則・賃金規程の作成や改定はもちろん、スタッフへの説明のしかたまで含めて、貴院の実情に合わせて丁寧に伴走させていただきます。早めに手を入れておくことが、いちばんの安心材料です。
※本記事は2026年7月時点の情報をもとに作成しています。診療報酬上の取扱いは告示・通知・疑義解釈によって変更されることがありますので、最新の情報は厚生労働省ホームページをご確認ください。